新潟島散歩パートⅢ

2009年5月5日(火)こどもの日
新潟島再発見の散歩にまたまた出発。
本日は、海岸沿いを散策。 新潟市西船見町のドン山(午砲所のある砂山は「ドン山」と呼ばれ、長年新潟の名所の一つとされ、親しまれた)からスタート。ドン山から松林をてくてく歩いて行くと初代新潟奉行として赴任した川村修就(かわむらながたか)の銅像を発見。銅像からまた松林をてくてく歩いて行くと護国神社の鳥居近くに建つ芭蕉堂(石室)を発見。鮮やかな朱で書かれた「芭蕉」の文字が目に飛び込み、驚かされる。芭蕉の肖像画と由緒書を銅筒におさめたうえ、永久保存のためコンクリート詰めにしてあるとのことです。「海に降る 雨や恋しき 浮身宿」の句が新潟滞在にちなむものともされ、それが石室の側面に刻されてました。すぐとなりに「蓑塚」も立っていました。 ちゅっと歩くと北原白秋の「すなやま」碑を見て護国神社をお参り日本海タワーを見てゴール。

【川村修就について】
初代新潟奉行の川村修就は、政治・社会の動揺に危機意識を持つ官僚であり、お庭番から勘定吟味役に登用されていました。修就は、幕末動乱の時代に新潟を皮切りに堺・大坂・長崎の奉行を歴任し、現場で幕府支配を支えたとのこと。

【こどもの日なので北原白秋の「すなやま」についても少し触れて】
北原白秋は新潟海岸の情景を「すなやま」の詩にまとめて新潟の子どもたちに贈ったと言われています。

海は荒海(あらうみ)、向ふは佐渡(さど)よ、すずめ啼け啼け、もう日はくれた。みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。
暮れりゃ砂山、汐鳴(しおなり)ばかり、すずめちりぢり、又風荒れる。みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。
かへろかへろよ。茱萸原(ぐみはら)わけて、すずめさよなら、さよならあした、海よさよなら、さよならあした。